おので整形外科

スタッフ紹介   




トレーナー兼マッサージ師 木村 公一
木村公一 昭和17年11月2日生まれ、62歳
〒607-8242 京都市山科区勧修寺柴山8−83
・「K」フィットネス企画 代表
・マッサージ きむら 健公庵
(国家資格)あん摩マッサージ指圧師・(厚生省)健康運動指導士
(労働省)ヘルスケアトレーナー・心理相談員・(日本体育協会)スポーツトレーナー
大阪ガスグループ福祉財団健康教室講師・京都新聞文化センター健康教室講師・ワシダプロスキースクールスタッフ


京都生まれの京都育ち。中学時代より陸上競技(特に投てき・・・砲丸投げ、槍投げ、円盤投げなど)を始め、実業団(大阪ガス株式会社)まで活動。
昭和51年、大阪ガス健康開発センター設立時より、企業フィットネスの指導者として、また、OGスポーツ・アスレチッククラブの支配人としても活動。その他、平成8年3月退職までの間、大阪ガス硬式野球部トレーナーとしても活動。その間、阪急ブレーブス・オリックス・阪神タイガースで活躍した石嶺選手、オリックスブルーウェーブの佐藤義則選手、野中投手(阪急・オリックス・中日・ヤクルト)成本選手(ロッテ・阪神)川俣投手(ロッテ)その他いろいろな選手の皆さんのトレーナーとして活動。


その後、関西社会人サッカーリーグでトレーナーとして活動。大阪国体の大阪代表サッカーチームのチームトレーナーとして活動。
現在、自宅にて「マッサージきむら健公庵」を開業。
健康作り指導者としては、大阪ガスグループ福祉財団、東大阪市、豊中市、堺市の保健所、京都新聞文化センター、その他各地で社会福祉センターなどの健康づくり教室の講師として活動中。
ユニークな活動としては、ワシダプロスキースクールでシニアスキーヤーのインストラクターとして、お客様やプロ選手のボディーメンテナンス(ストレッチandマッサージ)を提供している。自分自身の健康づくりは、典子夫人とのウォーキング、テニス、スキー、スケート、ゴルフ、ウエイトトレーニング、カラオケなど年齢と体力を考え、無理をせず努力しようと考えている。

[治療中です ]


[木村さんは歌の名手]

お酒はお飲みにならないのですが、夜の町はいつもお付き合いくださいました。歌が、お上手で新しい歌をどんどん歌われます。私も、原曲を知らずに木村さんの歌を聞いて、曲を覚えました。木村さんは、私の歌のおっしょさんです。

[吉本演歌ビクス]

[木村さんはお年よりにももてもて]

木村さんは、エアロビクスの先生でもあります。いつも、健康指導などをされるときには、スパッツとランニングシャツという出で立ちで、指導されます。

もちろん若い人向けのエアロビクスダンスもされますが、お年より相手に、演歌ビクスをされ、喜ばれています。
吉本興業主催の舞台での演歌ビクスをされたこともあります。演歌ビクスでは、お年寄りにもてもてです。



[院長の木村トレーナーとの関係・・・院長談]

木村トレーナーとは、大阪ガスの健康開発センターで、私が外科相談医として、週に一回職員の健康相談を受けていたときからのお付き合いです。
私が診察をする後ろで、患者さんの症状を聞いて病状を把握し、私の診察が終わった後、その診察をした結果を踏まえて、それぞれの患者さんに別の場所で時間をかけてじっくりと私の説明をもっと噛みくだいで説明し、それにあった日常生活での注意事項や、スポーツ選手に対しては、コンディショニングやトレーニング方法についての指導をしていただいておりました。

年齢的には、私より一回りも上ですが、いつも私のことを立てて下さいます。
ですから、患者さんも当時若かった私の診察でも、木村トレーナーのフォローがあったからこそ、満足して帰ったのではないかと思います。

[ にこっ♪ ]


そんな診察の中から、今では有名になったプロ野球選手やサッカー選手、陸上競技のオリンピック選手などが出ております。
懐かしい思いでは、木村トレーナーが大阪ガスの硬式野球部を見ておられたとき、都市対抗野球の予選で、日生球場のベンチ裏までいって肋骨の骨折をしている選手に試合前に注射をうったり、東京ドームまでついていったりしたことです。

冬場は、スキーのインストラクターとして活躍しています。
2004年3月:テイネハイランドスキー場にて。
100歳のスキーヤー三浦敬三氏と共に(100歳も元気だけど、半そでの木村さんも元気!!)
冒険家・プロスキーヤーの三浦雄一郎氏のお父様です。 鷲田プロスキースクール校長鷲田重人氏と共に。



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